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隙間

隙間(18k) 16日撮影

2019年11月17日 横浜市港北区(16日撮影)

菊名桜山公園にて、 10月の台風で数本の八重桜の木が倒れた。 幹は切り株になって転がしてあり、 枝葉はまとめて積み上げてある。 根本は倒れたまま残っていて、 地面がえぐれて根がむき出しになっている。 木がなくなったところは隙間ができて空が丸見えになっている。 倒れた箇所の近くに枝が植樹してあって育っていくのを見守っている。

 

夕富士

夕富士(18k)

2019年11月16日 横浜市港北区

富士山が夕暮れの空をバックに影絵を作る日が増えてきた。 シルエットがくっきりしきってないのは雲がまとわりついているから。 これから、 冬らしくなって乾燥しだすと、 影絵が美しくなっていく。 昼間に歩き回っても背中に汗をかかない程度には気温が下がってきた。 スーパーには鍋物セットやおでんが並びだした。

 

増上寺御成門

増上寺御成門(18k) 9日撮影

2019年11月15日 東京都港区(9日撮影)

御成門は増上寺の裏門だったと説明書きがしてあった。 だけど、 この門の元の場所は、 三門の右手側、 寺から見て江戸城方向の門であり、 裏門の語から想像するような位置にあるわけではない。 御成門を将軍参詣用の門と書かずに裏門と書くことに、 元の場所から今の位置へ移築した明治政府の思惑に絡んだ意図があったのだろうと妄想してみた。

 

有章院霊廟二天門

有章院霊廟二天門(18k) 9日撮影

2019年11月14日 東京都港区(9日撮影)

増上寺の二天門が朱色と金色に輝いていた。 将軍吉宗が建立した有章院霊廟の門で、 門を除いて霊廟の建物は空襲で焼失したという。 残った門も近年は損傷が進み、 漆がはがれてボロボロになっていたが、 この夏に修復工事が終わって、 きらびやかさを取り戻していた。

 

増上寺方丈旧表門

増上寺方丈旧表門(18k) 9日撮影

2019年11月13日 東京都港区(9日撮影)

増上寺方丈の表門だった黒門は、 案内板の説明によると江戸時代初期に建造されたと想定されているそうだ。 空襲を生き延びた門の一つだったが、 1980 年前には損傷が激しく、 補修の際に現在の場所に移築したとか。 今は黒くなくなっているが、 かっては黒漆が塗ってあったので、 黒門と呼ばれていたそうだ。 元は扉があったが、 補修の際に取り除いたそうだ。

 

台徳院霊廟惣門

台徳院霊廟惣門(18k) 9日撮影

2019年11月12日 東京都港区(9日撮影)

徳川家菩提寺である増上寺の建物の多くは戦災で失われた。 今あるのは戦後復興で作られたものが大半だ。 空襲を生き延びた二代将軍秀忠の霊廟の惣門は芝公園にある。 将軍様の霊廟の惣門にしては簡素な印象を受けるが、 奥にあった霊廟は豪華だったらしい。

 

芝丸山古墳

芝丸山古墳(18k) 9日撮影

2019年11月11日 東京都港区(9日撮影)

武蔵野国橘郡と周囲の、 東京都の港区から横浜市保土ヶ谷区までの一帯は、 かって古墳群だった。 横浜市には円墳はいくつか残るが前方後円墳は都市開発で消滅したとされる。 川崎市も同様だったが、 近年になって前方後円墳一つが発見された。 東京都では公園に取り込むことで前方後円墳が生き延びた。 都心部の芝公園にある芝丸山古墳もその一つ。 前方部に上がり、 後円部を眺めてみた。

 

MIZUTANI Tociyuki at Kanagawa-Ku, Yokohama-City, Japan