炎を吹くスティックが回転しながら宙に上がる。大道芸の中でも、炎のジャグリングが一番好きで、何度見物しても飽きない。手元で3本のスティックを小さくお手玉しつつ調子を整えていたかと思うと、「空中3回転行きます」の掛け声と同時に、回りながら高々と1本目が上がり、2本目が続き、3本目が追いかけていく。炎の軌跡をスローシャッターで撮ると放物線に沿った螺旋の一部を描いて美しい。
梅造花
2006年01月07日 横浜市西区
おや?こんなに寒いのに梅が咲いているのか?温室で育てたのだろうか?と思って近付いてみたら枝にくくりつけた造花だった。よく出来ている。枝は本物で、たくさんのつぼみがついている。暖房は効いていないが地下の屋根下のおかげで多少は気温が高いのか、外の樹よりもつぼみの膨らみ具合が大きかった。もうじき花が開きそうなほど、大きいものもあった。
凧と獅子舞の飾り
2006年01月06日 横浜市西区
やっこ凧も和式の獅子舞も飾り以外で見ることは稀になった。正月に凧が揚がっていると思っても、洋式のカイトのことが多い。子供の頃の凧は組み立て式で売っていて、竹ひごを組み紙を張って足を付けて糸を張り、それをもって広場にでかけて揚げようとした。なかなかうまく揚がらず、落ちたものを調整しつつ、なんとか揚げようと四苦八苦したものだ。自分は長方形の凧しか作ったことがなく、やっこ凧を揚げたこともない。
赤面法院
2006年01月05日 日南市(3日撮影)
故郷の飫肥の城下町は狭い盆地で回りを丘が囲んでいる。その丘の南東の尾根に赤面法院堂がある。正式名称を「祐遍堂」と呼ぶ。江戸時代に美男子の若い僧が飫肥におり、もててもててたまらず仏門の修行に妨げになると自ら熱湯を被り顔をヤケドだらけにしたという伝説をもっている。それで赤面法院様。日南では菅原道真に匹敵する学問振興の対象に祭り上げられて、正月3日の朝にお参りすると受験がかなうとされている。
油津眼鏡橋
2006年01月04日 日南市
油津の港は近くの河口から峠一つ離れていて、江戸時代に川から港に杉丸太を筏に組んで流して輸送するために運河が掘られた。光画がその堀川運河。正面の石橋は眼鏡橋と呼ばれ、このタイプの古い石橋は日南ではあちこちにあったそうだが、今はこれが唯一残るだけだ。飫肥藩の収入を支えていた造船用の杉であったが、やがてFRPや鋼鉄で船を作るようになり、役目を終えた。それでも今でも日南の山肌は杉が埋めている。
飫肥城大手門2
2006年01月03日 日南市(1日撮影)
飫肥城跡は、元旦早々から3ケ日の間、団体観光客が多かった。連続テレビ小説「わかば」のロケ地になった影響という。資料館の横の火縄銃穴から大手門を覗いたら、またもや団体客が到着したようだった。資料館から小学校の校庭を横切ると時を告げるための鐘つき堂がある。子供の頃から、飫肥の街の大晦日の鐘つきの定番スポットの一つである。大晦日の晩に、武家屋敷の通りから大手門の中までロウソクを並べたそうだ。
飫肥城大手門
2006年01月02日 日南市(1日撮影)
日南の民家は、門松を置かず、注連飾りも玄関に飾らない。門松のようなものは神社と城の門に置いてあるだけで、葉付きの竹を立てて松・南天・ユズリハなどを巻きつけ、三方から薪束を寄せてある。飫肥城は明治の廃城の折に大手門含めてすべての建物が解体された。それではあんまりだと、大手門だけは長く民家の門を移築し、代用していたが、20年前に復元された。子供の頃の正月風景から変わっていないのは門松と松明だけだ。