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カシの木

カシの木(16k)

2005年02月27日 横浜市西区

日が暮れる直前、横浜駅西口ビル群の一つ相鉄ジョイナスの屋上に登ってみた。穏やかに春の日差しが木々を照らしていた。そこはまるで森林公園のおもむきで、カシや山モモやマテバシイの木が植え込まれ、木々の下に抱かれるようにブロンズの彫刻が立っている。耳には、1時間ほど前、近くのHMV横浜ビブレ店で開催された、ミニライブのティンク ティンクの歌声が残っている。カシの木がふと目に入り、三線(サンシン)の棹に、この木も使うのだったなと思い出した。

 

三菱重工ビル

三菱重工ビル(13k) 22日撮影

2005年02月26日 横浜市西区(22日撮影)

H2Aロケットの打ち上げが成功した。光画中央に写っているみなとみらい21の三菱重工ビルの面々は、ほっとしていることだろう。このビルのランドマークプラザ側に三菱みなとみらい技術館がある。エントランスに歴代の三菱が担当した国産ロケットの模型が並び、ロケット・エンジンLE7Aの実物、それも燃焼試験をした実機が展示してある。それにしても、テレビ放送局はどこも実況中継を流さなかったらしい。この分野へのメディアの態度は腹が立つほど冷ややかだ。

 

明け暮れの雪

明け暮れの雪(8k)

2005年02月25日 横浜市西区

明け暮れの雪。夕方まで残る。春はいずこ。昨日、春一番が吹いたばかりだというのに、冬がしぶとく雪を派兵。春の先遣隊のジンチョウゲの花が芳香を漂わせ、梅が満開になるなか、冬の雑兵たちの士気が劣っているのか、昼前に申し訳程度に残るばかり。あえなく退散した。一部の残党が日影に潜んでいるものの、子供達に見つかっては体勢を崩されていた。屋根の上に逃れた残党も、明日の日差しの敵ではなかろう。

 

豆腐粥

豆腐粥(12k) 21日撮影

2005年02月24日 横浜市自宅(21日撮影)

江戸時代の料理本の「豆腐百珍」に豆腐粥が、何種類も登場する。単に豆腐の切り方が違うだけなのを、別の料理としてカウントしているのが笑える。米粒状に小さく切ったものや、うどんに見立てて細長く切ったもの等。それを葛煮にする。簡単にできて、夜食に向いている。鍋に出汁を入れて温め、そこにお好みの大きさに切った豆腐を入れ、さじ1杯のコーンスターチを倍量の水で溶きいれて温まったらおしまい。コショウなどをかけて食べるとよろしい。

 

元宵節の後片付け

元宵節の後片付け(13k)

2005年02月23日 横浜市中区

元宵節燈籠祭の関帝廟を見物へとでかけてみたら、現場に到着した午後8時過ぎに、もうイベントが終わっていた。入り口の石段に、お雛様のようにロウソク入りのハスの花飾りを並べて、その前で中国舞踏をしたのだそうだ。「来年もありますから」とスタッフが、次々にやってくる見物客になぐさみの言葉をかけていた。午後6時スタートで8時終了だということは、飲食や買い物にきたついでのお客さん方に楽しんでもらうための趣向なのだろう。

 

明日は元宵節

明日は元宵節(13k)

2005年02月22日 横浜市西区

もうじき満月。旧暦では明日が今年初めての一五夜だ。中華圏では元宵節と称し、提灯を大量に灯して祝うそうだ。そして、旧正月からの2週間にわたる長い冬休みが明ける。台湾のLSI工場や、中共の組立工場がいっせいに操業を再開する。今や、パソコン部品のことごとくは台湾と中共に依存しているので、旧正月から元宵節までの間、全世界の新品供給が細る時期になっている。それはともかく、横浜中華街でも、明日の晩、元宵節燈籠祭を関帝廟でやるそうだ。

 

火事の跡

火事の跡(13k)

2005年02月21日 横浜市神奈川区

数日前、六角橋商店街で火事があった。現場のノスタルジーが漂う、狭いアーケード街の一角を、倒壊危険により立入禁止の張り紙とロープがふさいでいる。ここは飲み屋が集まってて、夜の商店街に賑わいを添えていただけに、通行人にとっても残念でならない。他の店も、こういう事件の後とあって、いつもと異なるピリピリしたムードに包まれていた。この商店街の味わいは木造造りだからこそ、かもし出されている。古い街並みの風情を残しつつ火災予防できれば良いのに。

 

MIZUTANI Tociyuki at Kanagawa-Ku, Yokohama-City, Japan