茅の輪が登場する夏越の大祓は旧暦6月晦日におこなうもので、今年は昨日がその日であった。なのだが、旧暦に合わせるにしても、月末でないと気分がでないということなのだろうか。神奈川の熊野神社では新暦の7月末日の本日、すなわち旧暦7月1日に茅の輪が登場した。笹と茅の青々さが目出度い茅の輪であった。境内に入るとき、すれちがった方々がそれぞれ抜き取った茅の葉を手にしていた。京都で最近広まった風習だが、東国にも伝搬してきたようだ。
臨港パーク
2011年07月30日 横浜市西区(29日撮影)
3月11日以来、長い間、臨港パークの一部が封鎖されていた。工事用仮囲いがされ、修繕工事の掲示がしてあった。横浜の海沿いには他にもそのような場所が数ヶ所ある。ほとんどが液状化被害のようだ。ようやく、修繕が終わりだした頃合いで、7月に入ってから徐々に元の姿に戻りつつある。
飛鳥II出港
2011年07月29日 横浜市西区
飛鳥IIがベイブリッジをくぐって出港していく。臨港パークから見ていると、右手から巨体が滑り出てきて、巨体の側面がすべて見えるかどうかになったぐらいのところで右手に転回してベイブリッジへ向かっていく。肉眼では距離感が狂っているためだろう、飛鳥IIがあまりに大きく見えすぎて本当にベイブリッジを通れるのかと感じてしまうのがおもしろい。
人形
2011年07月28日 横浜市中区(24日撮影)
(関帝誕パレード) 巨人の将軍人形は威厳たっぷりに悠然と練り歩くのに対して、等身大の人形は活発に動き回って陽気をふりまいていた。この人形のバックで流れていたのは現代風の音楽で、ディスコで踊っているかのようだった。当日の気温は高くなかったけれども、それでも中に入っている人は汗だくで大変だったのではなかろうか。
祭壇
2011年07月27日 横浜市中区(24日撮影)
(関帝誕パレード) 中華街大通りにいくつも祭壇が登場していた。スタイルは同じで、歩道にテーブルを置き、刺繍が美しい朱布でカバーしてある。上に乗せてあるものは店によって種々様々だった。果物を飾ってあるところが多く、欠かせないのは焼香の器のようだった。
周倉・関平将軍
2011年07月26日 横浜市中区(24日撮影)
(関帝誕パレード) 媽祖廟へ入ろうと転回中の周倉・関平の両将軍人形。左が周倉で、右が関平。両将軍は関帝の神輿の直前を守って歩んでいく。両方とも媽祖廟に拝礼した後、廟の門まで戻り、そのままパレードに復帰しなかった。門の両脇に立ち、関帝神輿が廟に入っていくのを見守っていた。神輿が拝礼中、ずっと門を固め続け、神輿の出発に合わせて歩き始めた。三国志演義の世界である。
龍舞
2011年07月25日 横浜市中区(24日撮影)
(関帝誕パレード) 日が暮れる前は、媽祖廟の門前でパレードを見物していた。パレードの構成員は、それぞれ媽祖廟を拝礼していくため、順番待ちをしている続く出し物は門前で演舞を繰り広げていた。龍舞も道をぐるぐると駆け巡り、ぶんぶんと高速に回して螺旋を描いたりとひっきりなしに動き回っていた。龍を操る子供達は、皆々、顔にエナメル光沢の面をつけ、これまでになく格好良かった。