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カモメと氷川丸

カモメと氷川丸(14k)

2007年01月07日 横浜市中区

クリスマスの晩に氷川丸とマリンタワーが営業を終えた。だけど、毎年氷川丸にやってくるカモメにとっては営業しているかどうかは関係ない。昨年のように係留鎖にずらりと止まり、人が手を伸ばすと何か食い物が手にはいりゃしないかとわっと飛び立って滑空していく。

 

小村寿太郎生家

小村寿太郎生家(15k) 5日撮影

2007年01月06日 日南市(5日撮影)

この家屋は自分が子供の頃、中で区切られて2世帯が借りていた。一方は小学生低学年時代の友人で頻繁に遊びにいった。もう一方の世帯の姉妹は、年上の素敵なお姉さま方であった。そんな馴染みの家屋が、明治の外交官、小村寿太郎公の生家の家屋だったらしい。驚いた。小村家が大借金をしたとき土地と家屋も手放して、家屋は移築の末に、今の場所に落ち着いたとか。昔の家屋は分解して移動できたようだ。

 

サンメッセ日南

サンメッセ日南(13k) 3日撮影

2007年01月05日 日南市(3日撮影)

日南海岸には牧場が点々とあった。岬の斜面の上に牛が放牧されているのを海岸から見かけたものだ。牛肉の輸入自由化の後に、その一つが牧場を止めてサンメッセ日南という有料公園に変わった。公園にはなぜか実物大の複製モアイ像が立ち、ハワイアンが流れていて、ハイビスカスとブーゲンビリアが真冬にも咲き、小さな牧場もある。そんな文化ゴタマゼの場所だ。日向灘の眺めは抜群に良かった。牛はこんな光景を眺めていたのか。

 

日南海岸の地層

日南海岸の地層(13k)

2007年01月04日 日南市

学校の教科書ではリアス式海岸が長く続く地として日南海岸が登場する。観光ガイドでは日南海岸は鬼の洗濯岩がある場所として登場する。両方とも砂岩と泥岩の層が交互に積み重なった地層のせいでできた。地層は東北東に傾いていて、厚い泥岩層と、交互に薄い層が繰り返されているところが湾にえぐれ、海面で切り取られて鬼の洗濯岩になった。厚い砂岩層の部分が岬になった。地層は山へまっすぐ続いている。

 

鶏戸神宮

鶏戸神宮(13k)

2007年01月03日 日南市

鶏戸神宮の本堂は、岬の海傍の巨大な岩穴の薄暗い中に建っている。日本神話では山幸彦と結ばれたワニのお姫様が赤ちゃんを産んだ場所とされている。岩穴の出入り口がごった返しているのは、参拝を終えた後に手摺の向こうの岩の小穴に運玉を投げ入れようとチャレンジする人が多いから。素焼きの小さな玉で、男は左手で投げる。自分は慣れているはずなのに、1個しか入らなかった。風が強かったせいにしておこう。

 

四半的

四半的(15k)

2007年01月02日 日南市

飫肥の民間芸能の一つ四半的。四尺五寸の弓を引き、四間半先の的へ矢を射る遊びだ。的も4寸半。たしか矢の長さも4.5だったはずで、四と五にこだわった弓矢である。これに限ると、侍ではない町衆も弓を射ることが許されていたそうだ。しきたりでは、的を外したら焼酎を一杯飲まさせられて、なおさら手元が狂って的に当らなくするという罰ゲームがあったとか。現代の観光化された四半的では、焼酎は出てこない。

 

年迎え太平踊り

年迎え太平踊り(13k)

2007年01月01日 日南市

飫肥城跡の鐘つき堂は、自分が子供の頃から飫肥の町の除夜の鐘つきの定番スポットなのだが、最近はそこでカウントダウンをしたり、年が変わってすぐに市長が新年の挨拶をしたり、堂の下の広場で太平踊りをやりだしたりしだした。江戸時代からの民間芸能である太平踊りは小学校の運動会で踊らされたが、腰をもっと落とせだのと先生の指導が厳しかった。踊りを見ていると、そういう思い出が浮かんでくる。

 

MIZUTANI Tociyuki at Kanagawa-Ku, Yokohama-City, Japan