鶴岡八幡の本殿の工事が始まっていた。舞台殿の回りでお守りやおみくじ、馬絵を売っている。工事中の本殿を見上げる階段のところに金箔のご紙が掲げてあって、賽銭箱が置いてある。やはり、ありがたみが半減する。境内にたむろする修学旅行生を見ていると、携帯電話で撮っており、カメラを持っている生徒さんはいない。今後、学校のカメラ部は廃れていくのだろうか。
本棚
2003年05月17日 横浜市自宅
数日前に震度3の地震があった。本棚は壁に作りつけになっているが、探しやすさを優先して扉をつけていない。たぶん震度4になると、本がバラバラと床に散乱することになるだろう。やっぱり多少不便でも安全を取った方が良いのではないかと考え始め、扉をつけようと思っている。
ふれあいのまち
2003年05月16日 横浜市神奈川区
六角橋ふれあいのまち。六角橋とは不思議な名前だ。六角形の橋がかかっていたのだろうか。ふれあいのまちの通りが旧綱島街道、左手が小机に向う。そして神奈川湊へ向う。3街道が出会う場所だ。あながちないとは言いきれない。いや欄干が六角形の木だったという、ありがちなオチかもしれない。それはともかく、明日の晩、ヤミ市場というのをやるそうだ。
雨の波紋
2003年05月15日 横浜市神奈川区
奄美・沖縄は梅雨に入ったそうだ。横浜でも今日は一日、恵みの雨が続いた。よせば良いのに、小雨の中を自宅まで3kmの道を早歩きで戻った。そうしたら、高い湿度のせいか、汗が乾かず、体温が下がらない。だけど身体は体温を下げようと、ますます汗を出す。そんな悪循環の中で、真夏のマラソンのように熱っぽい上に、汗だくになっていた。教訓: 湿度が高い日はゆっくり歩こう。
仏炎苞
2003年05月14日 鎌倉市(13日撮影)
野生のサトイモ科テンナンショウ属の仏炎苞を鎌倉で見るのは始めてだ。これはカントウマムシグサかコウライテンナンショウの可能性がありそうだが、この類の名を外面だけで当てるのは難しい。本来、直立しているのだが、杉の枯れ枝が直撃したようで地べたに倒れていた。ありふれた植物のはずだが、これ一本しか見なかったということは、乱獲されているのではないか。
永福寺跡
2003年05月13日 鎌倉市
鎌倉の永福寺跡。義経が逃れたのを口実に、頼朝は平泉に兵を率いて自ら侵略にでかける。そこで黄金に輝く寺院群に強烈なインパクトを受けたという。奥州藤原氏を滅ぼし、平泉を焼き払って鎌倉に戻り、永福寺の建立に着手する。横に長い伽藍を平泉風に総金箔張りにしたという。やがて黄金寺院は失われ、今は草原に戻っている。ツワモノどもが夢の跡。
子安の漁船
2003年05月12日 横浜市神奈川区(11日撮影)
国道15号からちょっと海側に入ると、水路が続いている。この陸側の岸が京浜工業地帯の埋めたてが始まる前の昔の海岸線らしい。現代でも漁船が並んでいる。いったいどこで操業しているのか興味が尽きないが、飛行機から羽田空港の回りに漁船を見かけるし、久里浜から東京湾フェリーで金谷へ渡る途中で、漁船が横切っていくのに出会う。案外近場で操業しているのだろう。