水際プロムナードの大岡川側の終わりはレンガ張りの八角形の展望台で終わる。古地図と照らし合わせると、この辺りが砂嘴だった頃の横浜の先端部分のようだ。対岸に見えるみなとみらい21の一帯は幕末は海で桜木町駅のあたりも海の中でそこら辺に姥が岩なるものがあったそうだ。江戸幕府が弁天様を追い出した後、明治政府はそこに洋式試験燈台を作った。八角形の展望台の上り口に試験燈台の基礎だった赤いレンガが展示してある。
水際線プロムナード2
2015年11月07日 横浜市中区(3日撮影)
水際プロムナードの背後に広々とした駐車場が広がっている。かと思うと、白いのっぺりした工事柵が続いていく。工事柵をジグザグに立てると屏風のようになるのだろうかなと思い浮かべながら歩く。水際もジグザグだ。途中に灯台でも立っていたのだろうかと思わせる形をした突き出た場所がある。そこの内側の石組が時代がかっていてほれぼれする。
水際線プロムナード
2015年11月06日 横浜市中区(3日撮影)
かって横浜の名前の通り細長い浜が海に伸びていたときの先端のあたりが今の北仲通地区らしい。 鎌倉時代から開港直前まで弁天様が奉ってあったという。 その一帯の再開発が進められている。 暫定的に海際に万国橋から北仲橋まで散策路が巡らしてある。 水際線プロムナードの名称がついている。 護岸は昔の石詰みを組み直してあり、 風情がある。 汽車道を眺めながら歩くと楽しい。
六づくし
2015年11月05日 横浜市神奈川区
六角橋商店街の街路灯が新しくなっている。 六角推のカゴに六角形の傘がかぶさり、 大きな丸い玉が入っている。 それが2つ。 街路灯を下げている柱のてっぺんには漢字の六を切り抜いた六角形の飾りがついている。 六づくしの街路打である。 せっかくなので、 担当したデザイナさんの名前を刻印して貼っておくと良いのでは。
日暮れ富士山
2015年11月04日 横浜市港北区
夕暮れの暗い茜色の空に富士山がくっきりと聳え立つ。 富士山が霞まずに見えるようになると、 冬の寒さが近づいてくる。 灯油売りの小さなタンク車がけたたましく呼び込みをスピーカーから流しながら横浜の下町の路地を回りだす。 日暮れが早くなり、 夕方の 5 時に闇で覆われるようになると、 繁華街を色とりどりの LED が飾りだす。
馬車
2015年11月03日 横浜市中区
今日は馬車道まつりの最終日だった。 馬車道に馬車が通る年に一度の日だ。 昨年までは馬車道を馬車が往復していたのだが、 今年は馬車道を奥へ進み横に曲がって別の道を通って馬車道へ戻るルートに変わった。 馬車を通せる道が増えたということなのだろう。 今日は黒馬と白馬の 2 頭が活躍していた。
足洗井戸
2015年11月02日 横浜市神奈川区(1日撮影)
子安に数ある井戸の中の一つに、 「浦島太郎の足洗ひの井」と江戸名所図会に記されたものがある。 江戸時代当時は道の傍らにあって、 用水として使われていたそうだ。 伝承では竜宮城から戻った浦島子が、 はるか昔の父の墓を訪ねて、 はるばる子安へやってきたときに足を洗うのに使ったという。 その井戸は今も残り、 手押しポンプになっている。 この井戸は江戸時代には布袋丸の井の別名も持っていたそうだが、 今は無名で民家の間の細道に潜んでいる。