小学高学年の頃、油津港の古い町並みに飫肥から引っ越して行った友人を訪ねて付近で何度も一緒に遊んだものである。その友人宅があった近くにずっとある変な物件の一つが、このえびす様。大岩の凹みに祠が食い込むように立ててある。この手の建物が入るほどの大穴の開いた岩は日南海岸にはいくつもあって珍しくない。鵜戸神宮ほど本格的なものは他にないが、小さな祠が中に祭ってあるものもある。このえびす様の大岩の場所も波打ち際だったことがあり、取り残されたものらしい。
飫肥城跡
2013年01月05日 日南市(2日撮影)
年末に休刊になった雑誌「旅」の最終号に飫肥が取り上げられていて、中に「飫肥城跡は苔の宝庫」云々とある。それでふんふんと眺め回してみたくなるのだろうけど、蘚苔類・羊歯類・藻類の区別をつけるのは素人には難しい。日本の蘚苔類の新種は、最初の標本採集後何十年もの間、羊歯類の前葉体か蘚苔類か判別する決め手が乏しく長らく分類できなかったものである。胞子嚢付きの標本がやっと登場して蘚苔類に確定したというのは「旅」のセリフの主からの受け売り。
楠原
2013年01月04日 日南市
飫肥に限らず日南市を散歩していて石につまずいたり等で記憶が突如蘇るといったような長大耽美小説に書いてあるような体験を味わったことは未だにない。残っているものは何十年何百年と残り続ける地だからなのかもしれない。この通りには友人数名が住んでいたので幾度も通った。通りが細く上品な雰囲気は相変わらず。土地名は楠原と書いて「くすばる」と読む。これに限らず、飫肥には沖縄に近い読みがいくつもある。なんでも室町時代以前の発音が方言として残っているからだという。
人力車
2013年01月03日 日南市(2日撮影)
飫肥城跡復元大手門前にて。地元有志による人力車がお客さんをもてなしていた。人力車にはいろいろあるが、ボランティア人力車は乗車無料である。希望すれば車曳きもさせてもらえる。人力車は大手門からしばらく空堀の横を進む。あの空堀は大手門復元前はもっと深くて、人を拒絶する陰気な場だった。イラクサが茂り蚋と薮蚊が多く蛇もいた。体長30cmほどのルリ色の大ミミズもいた。梅雨前になると小さな土ホタルが舞い上がり空中を燐光が彷徨ったものだ。今は魍魎どもが姿を消して鳩の遊び場になっている。
弥五郎どん
2013年01月02日 日南市(1日撮影)
自分が覚えている範囲では、元旦に弥五郎どんが据え付けられているのを見たのは今年が始めてのことである。ついでに言えば、階段下の鳥居前に立っているのを見るのも始めてであった。股をくぐり階段を登ると、境内の雑草がはらわれていて、社殿も薄汚れた感じがなくなって綺麗になっている。聞くところによると、若手が戻ってきて頑張っているそうである。
元旦朝日
2013年01月01日 東京都大田区
元旦の朝。羽田空港旅客ターミナルビルは混雑していた。エスカレータの口に警備員が何人も立ち、大勢の初日の出見物人をスムーズに屋上へと誘導していく。屋上デッキから東を見ると、雲がべっとりと張り付いている。やがて、ねずみ色の雲の帯から太陽が上へ抜けて日がさした。とりあえずながらも初日の出を見ることができたということにしておこう。
松原商店街
2012年12月31日 横浜市保土ヶ谷区
大晦日とあって、松原商店街は買い物客でごった返していた。鮮魚店と八百屋に特に人が集中し、ゆでダコやらトロの棒がどっと並べられや否や、飛ぶように売れていっていた。商店街を後にして旧東海道をぶらぶらと横浜駅へ向けて歩いていくと、ところどころでお煮染めを作っているらしきゴボウを煮る香りが漂ってきた。