バスガイドさんが歩きながら「石垣を見るところです」なんて言っていたそうだけど、飫肥の武家屋敷の伝統的な石垣を見るなら城の外にぽつぽつと残っているものが良い。丸石を組み上げてその上が生垣になっている。いくつかある中でも永吉の通りの石垣が雰囲気が良い。子供の頃、餅つきにお呼ばれした40年以上前の頃、この通りは、いかにも江戸時代のままという雰囲気が残っていたけど、さすがに建て替えが進んで現代的になりつつある。
変哲のない鏡餅
2009年01月03日 日南市
ここ数年、自分が子供の頃に良く見た飫肥の珍妙な鏡餅を探している。丸餅を厚さはそのまま直径を大きくして平べったくしたもの2つの間に小さな丸餅を3個(だったと思う)を挟んで隙間を開けてあった。あれは湿気が多い土地でカビだらけにしないための工夫だったのだろう。飫肥城跡の豫章館の鏡餅はどうかと、わざわざ入場料を払って入ってみたけど、残念ながら、いまどきのラップに包まれた2段の普通の鏡餅が飾ってあった。こういう箇所ぐらい、かっての鏡餅を飾ればいいのにと思った。
石橋
2009年01月02日 日南市(12月31日撮影)
戦前の日南には石積みのアーチ橋が複数あったそうだ。日南ではメガネ橋と呼ばれている。だんだんと架け直されていって、現存しているものは少なくなった。油津にある石橋は市の文化財になっていて、これからも保存されていくのだろう。この橋は道路として現役で使われていて、自動車も当たり前のように通過する。石橋の名残りなのか、日南には石橋ではない橋でもガードレールが石組みで作られているものが多い。
愛宕神社参道
2009年01月01日 日南市
飫肥の城下町の4方に神社が一つずつある。それを順に初詣して回ってみた。四社参りというらしい。そのうち3つの神社は階段の長い参道を上り下りするので良い運動になる。中でも傾斜がきついのは愛宕神社の参道だ。最近になって手すりがついたようだが、なかった頃は、足を滑らせないように気をつけて上り下りしないと危険だった。この階段を登っても、誰もいない古びた社がポツンと杉並木の下にあるだけだ。
除夜の鐘蝋燭道
2008年12月31日 日南市
除夜の鐘の会場、飫肥城跡の小学校のグラウンド脇の鐘つき堂への道筋を手作り蝋燭で飾ってある。この蝋燭は台所の使い捨ての廃油で作った廃油キャンドルである。母も作り手の一人で、作り方をざっと聞いてきた。台所の廃油を捨てるときに固める市販の凝固剤を使い、蝋をあらかじめ含ませた麻紐を芯にして作るのだそうだ。そのうち自分も作ってみようと思う。
飫肥城水手門跡
2008年12月30日 日南市
飫肥城の城門の一つは川辺にあった。城のあったシラス台地を堀り開いて川までまっすぐ道が下っていた。この道は飫肥城跡が観光化される前の、まだ城跡一帯が飫肥小学校だったときには健在で、自分等の子供達の遊び場の一つだった。観光地化する際に打ち捨てられて、今は廃道になっている。
靄
2008年12月29日 日南市
夕方、飫肥の盆地に戻ると靄がかかっていた。ギャビン・ピニー「雲のたのしみ方」によると、霞は層雲の一形態で、雲の中では唯一地面近くの低高度に発生するという。地面近くに湿度の高い空気が溜まっているのが発生条件の一つだそうだ。飫肥の盆地は湿度が高い。その代わり清水の湧水に恵まれている。