祖父が亡くなったとき、新たにお墓を建てた。うちのお墓は神式だ。日本のお墓は仏式が主流で、仏式以外のお墓を建てられる場所は限られる。高野山は仏教真言宗の聖域だが、祖父が亡くなった頃、宗派を問わない霊場ができた。避暑を兼ねたお墓参りができるということで、高野山に墓を建てたそうだ。同じ霊場には十字架も立つ。
神前
2002年08月24日 大阪市
父方の祖母が亡くなって10ヶ月。祖父の命日近くに、大阪の祖父母の終の家に親戚一同が集まった。まずは神棚にお供え物を飾り、御魂降ろしの神事をして祖父母にご挨拶する。お供え物のニガウリは日南に住む母が家で育てたものを、もいできたそうだ。ニガウリは沖縄専門ではなく、本土でもポツポツと食べる地域がある。祖父母が育った浜松、自分の育った日南でも食べる。
神奈川の札所跡
2002年08月23日 横浜市神奈川区
やじさんきたさんが通った東海道。横浜市の神奈川区は海道の宿場として栄えた。人の往来があるところには幕府がおふれを掲示していたそうだ。おふれは木に直接墨で書いたようだ。復元したものが神奈川文化センターに置いてある。宿場町の盛り場は、横浜駅からすぐの丘の斜面だったそうだ。往時の道筋が生活道路としてそのまま利用されている。
神奈川の浦島寺
2002年08月22日 横浜市神奈川区
昨日の続き。浦島太郎のお寺は護国山観福寿寺といい、場所は国道1号線から綱島街道に入る丘にあったそうだ。今も浦島が丘の地名が残っている。観福寿寺がなくなった後に、神奈川の慶運寺が引き継ぎ、明治以降の浦島寺になった。慶運寺は神奈川区役所から海側に数分のところにある。入口で浦島寺の碑を亀が支えている。
神奈川の浦島の亀
2002年08月21日 横浜市神奈川区
神奈川には浦島太郎伝説にちなんだ亀の飾りが多い。太郎が海に入るのは京都府の丹後の地での話で、その後日談による。太郎のお父さんは相模の国の出身で丹波の国に赴任される、そして武蔵の国の神奈川の地に埋葬されたという。戻ってきた太郎はやがて父の眠る塚の地を見つけ、そこに寺を建てたそうだ。江戸近辺の名所の一つだったそうだが、明治の廃仏で今は跡形もない。
月夜の赤レンガ倉庫
2002年08月20日 横浜赤レンガ倉庫
台風が東の海上に抜けて、今日はとても良い空模様だった。気温が上がらずなんとも良い風が吹き続けた。空気が透き通っている。綺麗な月に誘われて、赤レンガ倉庫まで散歩にでかけてきた。みなとみらいから赤レンガ倉庫まで、すごい人数だ。台風が過ぎ去った後は、なんとも心地よい開放感がある。さぁ!でかけよう!という気になるのは皆同じみたいだ。
箱根の組木コマ
2002年08月19日 横浜市自宅
箱根の組木細工の小さなコマ。10年近く前に大湧谷のみやげもの売り場で買ったものだ。対称に組まれた木の表情が美しい。箱根には、7年近く行っていない。コマを回すと、大湧谷の硫黄の臭いをフと思い出した。秋口に久しぶりに遊びに行ってみようかと考えている。