>  トップ  >  サイト案内 >  自己紹介

サイト案内

自己紹介

サイト製作人の半生

水谷敏行(MIZUTANI, Tociyuki; みずたに としゆき)。男。横浜市居住。

1963年宮崎県日南市に生まれました。極小未熟児で生まれ、両親とお医者さんを振り回したそうですが、奇跡的に生き延びたとのことです。生まれたときから迷惑な奴でした。高校までは日南で過ごしましたが、関西出身の両親の帰省についていった際に、幼少の頃から吉本喜劇を生で見たり、落語や漫才にうつつを抜かし、後々の性格形成に素晴らしい影響を与えたのは言うまでもありません。

中高生の頃は典型的な第一期マイコン少年でした。今風に言えばパソオタのはしりみたいなものです。小学校5年ぐらいでマイクロプロセッサの存在を知り、中学の頃からマイクロプロセッサにはまりました。最初に覚えたプログラミング言語は、モトローラの8ビットMPUのMC6800のハンドアセンブラでした。皆のようにBASICへの道は歩まず、めちゃくちゃマイナーなFORTHへと道をそれ、Turbo PASCALへOS-9へC言語へと順調に組み込みの世界を突き進みました。アセンブラは今でも得意ですが、現代のコンパイラには最適化ではかなわない用済みスキルになっています。組み込みマイコンが最後の牙城だと思っていましたら、Cコンパイラが結構良いコードを吐くようになり、アセンブラをこなせることは既にスキル欄にかける内容ではなくなってしまっています。

大学進学で、素直にコンピュータ分野へと進めば良いのに、ガクモンに寄り道したくなって熊本の某大学の物理科を選びました。ガクモンと言っても頭が悪かったので物性実験に進みました。物性実験では、例えば結晶を一日中乳鉢で擦って粉にする等といった単純作業が必須でして、こういう猿並作業を我慢してやれるという技に恵まれたのはラッキーでした。夏目漱石の名作に、山月君が日がな1日ガラス玉を磨くエピソードが載っていますが、大学の実験系の研究室で日頃いそしんでいることは、その手の作業なのです。実はガクモンよりも、当時熱中していた登山のために便利な場所にある大学を選んだというのは秘密です。その影で当時のアーケードゲーム繁盛期やファミコンブームに悪乗りして怪しげなゲームコードで貯蓄を作ったりしていました。ついに起業しようという調子に乗った話もありましたが、プラザ合意で一挙に景気が悪くなって断念したものです。

円高続きで先の景気は暗いままと読み誤り、京都の某大学院の理学研究科という社会不適合者収容所に入らせていただきました。おかげでバブルの恩恵を受けることなくビンボな20代を送っています。そこでは乳鉢スリスリに加えて、ステンレスにこびりついた金属ゴミを紙やすりで削り落とす作業に精を出していました。エックス線とガンマ線もたんまり浴びたものです。おまけにミーハーにも高温超伝導の研究バブルにモロ入り込んでしまい、能力が足りなかったのが輪をかけて学位は取れませんでした。20代で手に入れたものと言えば、「素人経済予測は当たらない」、「ミーハーは身を滅ぼす」という真理を身をもって獲得できたことぐらいでしょうか。

バブル崩壊の翌年、もったいないことにニッポンノカブシキガイシャの典型のような大製造業様に拾って頂きました。会社生活の前半は相変わらずエックス線をたんまり浴びる生活でした。それもヒ素入りカレーで話が出た超強力エックス線だったりします。後半は光学顕微鏡で穴の個数をひたすら数えたり、細い針でデコボコを測る作業が大半でした。バブル崩壊直後に採ってもらった上に、いろいろと得がたい経験や出会いもさせて頂いたし、利益に貢献しなかったのに給料をたんまり頂けましたので、該法人とその関連法人様には今でも心から本当に感謝しています。

水谷敏行

MIZUTANI Tociyuki at Kanaga-Ku, Yokohama-City, Japan